中年麻酔科医の頭のリハビリは大変蔵人は素晴らしい

2021年05月30日

見えると見えぬ

休日の昼間、のどが渇いたことをいいことに矢継ぎ早に缶ビール2本を開けると、強烈な睡魔に襲われました。30分だけ寝ようとうたたねしたが、不幸にも悪夢を見ることになりました。どうもそこは雲の上のよう。桶に柄杓で何かを入れている二人?よく見ると一人には角があり、一人には羽がある。悪魔と天使のよう。ここが夢らしいが、二人とも顔は私にそっくり。悪魔は泥水を桶に注ぎ、天使は浄水を注ぐ。悪魔の柄杓は大きく、どんどん水は濁ってゆく。必死で天使は清水を汲みいれるが、まったく追いつかない。不思議なことに客観的に見ていたはずの私は天使になっていました。こまり果てた私は、さらに天に向かって「神はいないのか?」と叫びます。すると遠くから神が現れる。また二人?いや二柱、それも神に扮したモンスターエンジン!こんなハチャメチャな状況に、夢の中でこれは夢なのだろうと思いはじめました。夢なのだから、神に桶の水を全く清らかにする方法を聞けば、心よく教えてもらいハッピーエンドとなるであろうと思い、「どうすれば桶の水を浄化できるのでしょうか?」と下心満々で尋ねると「泥水にいくら浄水を注いでも完全に清らかな水にはならぬ」といった瞬間、水があふれ桶がひっくりかえりました。「夢でしょ、夢でしょ」とうろたえる私のはるか足元では、怒涛の水が地上を満たし、山を削る。その中を今にも難破しそうな船が大波に運ばれて行く。

 過換気でテタニー寸前になって目が覚めました。テレビを見るとオリンピック・パラリンピックの是非を問うニュース。この音声入力のせいかと納得しつつも、なかなか動悸はおさまらず、Afになったのかと思うほどでした。昼寝なんてしなければよかった。

 眠る余裕があるのは良いことですが、眠れないのはさらにつらい。私の世代は岡村孝子さんのファンが多いと思いますが、その曲に今日も眠れないというのがあります。私も好きでよく聴いておりました。当時の媒体は驚くなかれ、テープでした。貧乏学生の私は帰省の際、高速料金をけちるためによく下道で帰っておりました。岐阜、名古屋への最短ルートは油坂越えでしたが、夜はリスキーだったので、よく敦賀経由で帰っておりました。8号線を南下し、木之本から農道経由で関ヶ原にショートカットしていたと思います。そのまっすぐな農道で聞いていたのが岡村孝子さんの曲でした。関ヶ原の表示に美濃・尾張の人間は絶対的な安心感を覚えます。ここからが我がテリトリーでした。話がそれましたが、上述の今日も眠れないのフレーズが興味深い。見えるものを見えると言えないことが多すぎて、誰も彼も利口に思えて今日も眠れない。 深いと思います。何が見えているのに見えると言えないのでしょうか?オリパラ後の未来でしょうか?また少し歌いかえるとさらに深くなります。見えぬものを見えると言えないことが多すぎて見えない何を見ているのでしょうか?

 信長は是非におよばずといったそうですが、小人物の私には是非は推し測れません。

ただどちらに転んでも、国破れて山河ありとならないようにしていただきたいと思います。

 

 

                       平田 学

 



mh5963ya at 20:50│Comments(0)

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