2013年12月
2013年12月05日
イレウス解除
2日前のスパーバイザー、麻酔科管理23件。色々あり興奮気味。1時ころ帰りましたがなんだかけだるさがありました。風邪でしょうか?
そして昨日は昼過ぎから倦怠感が増強。同時に腹満感。熱はないのですが、浮遊感あり。17過ぎには帰宅しました。咽頭症状、咳嗽はなくインフルエンザではなさそうです。ワクチンはうっていますが否定できないため、いち早く就眠。万が一翌朝発熱があるなら対応をと考えていました。いまさらですが、むかつきはあるにもかかわらず、ビタミン飲料を3本。食欲がないためOS-1の摂取考えましたが、アイスを一個食べ、水を無理やりのんで18時半就眠。2時間ごとに目が覚めますがじっと耐え12時、またビタミン飲料を摂取後、大量の水を飲んで就眠。3時に目が覚め、また水分摂取後就眠、必死に7時まで寝ました。朝には倦怠間は消失。が、腹満感は増強。おそらく腸蠕動は低下、便意もありません。3年半前に経験したサブイレウスと同様の症状です。ひょっとしたらなんらかのウイルスに感染すると麻痺性イレウスになってしまうのかもしれません。食欲もなし、嘔気あり。症状の軽快からインフルエンザは否定的で、予防策を厳重にして登院。できるだけ表にでないように。サブイレウスの症状は改善せず。腹痛はないので、虚血ではないと確信しつつも少し不安。脈をとってみる。84bpmといつもより早いがAfは否定。
昼も食欲なく摂食せず。お茶を飲んだらお腹がはる。14時、管理業務によって引き起こされた興奮(麻酔管理枠のことで他科の先生に怒りを覚えた)をきっかけに動悸を覚え、あからさまに血圧が上がったのを感じた。その数10秒後突然の腹痛。30秒程で治まりました。
そのあとからお腹がキュルキュル。腸蠕動が亢進し始めました。
怒りを覚えた際、私の交感神経系は過剰興奮し、その後バランスをとるかのように副交感神経系が有意になりました。その結果、腸蠕動が促進されサブイレウスが改善したのだと考えます。現在20時半ですが、ビールも飲めています。
症状改善の立役者は無理を言ってきた他科の先生かもしれません。ある意味ありがとうございました。
このような経過でブログ更新が停滞しておりました。現在通過障害は改善されましたので、今後は迅速な更新を心掛けたいと思います。
平田学
2013年12月01日
崖っぷち
私が小学生のとき奇妙な体験をしました。私の両祖父母の家は山陰地方で、よく夏休みに行っていました。母方の祖父母の家からは海が近く、よく海水浴に行っていましたが、もちろん他の地域と同じくお盆は避けていました。その日お盆入り前日、いとこと一緒に山陰にありがちなそれほど広くはないが小石の浜に向かいました。100m沖までは浅くところどころに小岩があり、子供でも安全に遊べます。左手に行くとやや険しい岩場。貝採りに摘しています。いとこはとこぶしをとりにそちらに行ってしまいました。右手は30mほどの断崖。小東尋坊といった感じでした。浜は穏やかでしたが、断崖には波が打ちつけ、ところどころ白波ができていました。断崖と浜の間にも小岩がありましたが、岩と断崖の間は1mほど、飛び移れない距離ではありません。私自身、幼少期はそこまでアクティブではなかったので、今考えるとなぜ?という感じですが、後でいとこに自慢がしたくて崖を登ってみようと思いました。崖に飛び移ってみると岩と崖の間の海は深く見たことのない青黒さを呈していました。崖にはいばらが生えておりそれを避けて手をかけるのに以外と苦労しました。時刻は4時頃だったでしょうか、夏なので明るいはずですが、静寂で時間が止まっているかのよう。明るいのに夕刻の雰囲気です。波の音に時折、鳶のなき声が混ざるのみ。10m程は何とか登れましたがその先は険しく30分ほどかけて10mを上りました。下を見下ろすと黒緑の海引き込まれそうで、腹痛さえ覚えます。あと5m程というところで絶望しました。子供にとっては手をかける場所がない。迷った挙句降りて戻ろうと思い増したが、波はなぜか荒くなっており、さらに悪いことには満ち潮になってきており、飛び移った小岩が水没し、その間の海は広く深くなっている。絶体絶命、軽率な行動を悔いましたが、あとの祭りです。助けを呼ぼうにもいとこの姿は見えず(後で聞くと先に私が帰宅したと思って帰っていたと)、たまに通りかかることのある子舟さえも見えない。転落したら大けが、それですまないかもしれない。海に落ちたらこんな深い海泳げる自信はない。このまま夜になったら・・・本当に絶体絶命、子供ながらに死を予感しました。
泣きながら左手を伸ばすと強く引っ張られるような感じがしたあと、左手に温かい感覚。確かになかった場所に岩のでっぱりがあり、そこに手がかかっている。全く理解できませんでしたが、何とか崖の上にたどりつきました。西をみると白青い平らな海。その風景を見て、なぜか落ち着いた感じがしました。岬様になっています。振り返るとなぜか赤い木製の鳥居。その先の木に囲まれた暗い中には木造のなぜだか大きな煙突付きの建物。気味が悪かったのですが、そのたてものを抜けて暗い小道を降りてゆくと、また赤い鳥居。その先が港でした。
後で聞くと、この地域の海で亡くなった人はあの崖の近くに流れ着くという噂があると。また私が見た木造の建物は昔の火葬場だったと。
この話を聞いて私は驚愕するどころか、安心したのを覚えています。今ではこの時の体験の意味がよくわかります。
現在の社会は科学で定義された尺度によって形成されているのは間違いありません。その尺度を用いて生きて行かなければならないのも事実です。ただその尺度でわりきれないものが生じた場合に全否定から入るのはどうかと思います。木のリンゴを採るとして私達は3次元的なアプローチができますが、蟻には2次元的なアプローチしかできません。このどちらも間違いでしょうか?ときには科学の尺度を拡大して物事を分析するというのも、一つの手立てではないでしょうか?
神社に行くと非常に落ち着く 平田学