2014年03月
2014年03月29日
アフタに悩まされて
金曜は通例は抄読会の日ですが、年度末ということで、一回とばして、バッカス先生の4月後半の沖縄での学会の予演。人工呼吸下患者の鎮痛についての話。詳細は書けませんが、麻酔科学会の演題にもリンクして発表するようです。
医局会は金曜の朝にしているのですが、昨日は私自身はしゃべるのもままならかった。というのも、あまりなったことのない口内炎が多発。舌炎も伴い場所によっては深掘れ潰瘍になっている。ベーチェット病の潰瘍に類似。うがいをしてもしみる。
昔胃痛を訴えるときには、全くエビデンスはないのですが、ストロカインという局所麻酔製剤を処方していました。現在はそんな処方はありませんが、この発想で、キシロカインゼリーを素人みたいですが、塗布してみました。真似しては絶対だめです。というもはキシロカインゼリーは外用ですので、用法外です。すると2%であるにも関わらず唇まで痺れてきました。60分経ち、もう誤嚥はしないだろうと思い、摂食してみましたが、意外と痛みは感じませんでした。たださらに猛者がいて口内炎が痛くてたまらなかったときにキシロカインスプレーを散布したものがいるらしい。これは8%なので危ない。中毒になる可能性もあります。用法外、絶体に真似してはいけません。
そういえば母親が化学療法中に口内炎が重症化し、一言もしゃべれなかったのを思い出しました。たったこれだけの炎症で食べれないのだから、相当だったのでしょう。いまではケナログパッチがあるそうで、だいぶ痛み対策も変わっているそうです。
口内炎の話はそのくらいにして、来週はいよいよ4月。フレッシュマンもやってきます。今回は外部出身の2人。うちは大学でも他施設出身でも全く同様に考えています。早めにオンコールには入っていただく予定なので、一般麻酔に慣れるのも大事ですが、帝王切開の麻酔管理、緊急手術の麻酔管理も早めに習熟していただきたいと考え、強化プログラムを計画中です。来年からは後期研修システムが変わり、府立医大のプログラムに属するため、バランスのとれた教育、研修システムの構築が重要となってくると思います。これは全スタッフで議論しながら修正していきたいと思います。これ以前の専攻医プログラムに関してはしては当院特有のプログラムを適用し、変更は全く考えていません。
4月は忙しいかもしれないが、新研修医、専攻医、医局員全体で、シンプルに楽しく、業務を行えるよう努力してゆきたいと思います。
平田 学
2014年03月23日
卯月待つ疏水に映えよ薄桜
2014年03月19日
迷える子執事
今日は反省です。冷静な対処ができませんでした。
手術室の総管理者となるからには絶えず冷静と心掛けていたのに。
昨日外来で術前診察をしているとき、外科のM君から翌日、すなわち本日の準緊急手術の申込みを受けた。本日のスケジュールは当院的には比較的タイトでした。2時間程の手術で、15時くらいからは入れられると判断したので、快くOKしました。ただし彼は9;00入室のラパロ手術にはいるため、それが終わればば出室可能と。中央手術室は緊急手術室を除いてoccupyされており余裕はない。その中、大腸穿孔ですぐに手術がしたいとの要請、緊急対応チームを結成し、15分で手術室に上がれる準備を完了。全室を使って管理。この麻酔担当には前日のオンコールを当てる。自転車操業。それでも穿孔なら一刻一秒を争って始めるのが患者の予後に関わる。そう思い皆に発破をかける。その緊急手術が無事おわり、ほっと一息ついたころ、ラパロが終わり、彼の臨時が始まれば、1例を除いてほぼ定時終了のはずでした。
しかし患者さんが入室して来ない。なぜと管理室に尋ねると、M君と一緒に手術にはいるS先生が他の手術にはいるため手術出しできないと。
これまでの緊張感もあり、いらいらしていた自分はM君に”聞いてないよー、どうなってるの”と思わず切れてしまった。迂闊だった。冷静さを少し失っていた私はM君の上司のS君(実はS君は僕とこの日赤で研修医、専攻医時代を共有した仲で、普段から仲よくしている)にも”君たち同志のコミュニケーションはどうなってるの”と強い語調で言ってしまった。アカン冷静さを欠いて、大きな子供状態である。M君がS君は他の手術にもはいらなければならないから、それを待ってほしいという内容を言い忘れただけなのに。いうにしても2つの手術が終わってからにすべきであった。彼らは緊急手術を1時間程前倒しして斜めにだしてくれたが、私の憤りによってかなり無理をさせてしまったに違いない。管理者としては本当に恥ずかしい。
ただ私達スーパーバイザーも、毎日のスケジュールの中、1分1秒をセーブして早く手術管理業務を終了し、スタッフやもちろん執刀達にも早く休んでもらおうというポリシーを貫こうとしている。そこはご理解いただきたい。そして1秒でも早く終われば、その分だけ多くの、社会的に必要とされる緊急手術を受けることができる。
まあ明日の送別会でこの真意をM君、S先生に真摯に話して理解を求めるとともに、冷静さを欠いたことについては陳謝したい。私達麻酔科医は手術室やICUを取り仕切る冷静な執事でなければならない。
私達が手術室だけではなく、ER-ICUやsurgical ICUを管理しようとする理由は、救急医や執刀医に安心して帰ってもらい、次の処置や手術に余裕を持って臨んでほしいからだと、少しでも分かってもらえれば幸せと思います。
平田学
ICUや手術室の見学希望の学生さんは manabu-hirata@kyoto1-jrc.org までお願いします。
2014年03月18日
イケ麺はそばにいるべき
久しぶりに”駅そば”を食べました。
20年ぶりの大学の同窓会の翌日。2日酔いの治まらないなか、これだけは食って帰ろうと思っていました。福井駅に昔からある立ち喰いそば。かけそばは280円とそんなに昔と値段は変わらない。だしはこくがあるが、意外とあっさりしている。昔と変わらない味でした。
僕がこの駅そばと遭遇したのは大学1年時、愛知から福井への移動の時。まだぼろぼろのプラットフォームから木の改札を抜けると、”今庄そば”の文字。なぜかひきつけられ食したのが最初。その後おろしそばにも遭遇、カルチャーショックを受けた。金沢と同じように福井の繁華街の名前も片町。そこの居酒屋で飲んだ後、早い時間であれば”駅そば”を食って帰っていました。
懐かしい味といえば、ヨーロッパ軒のソースかつ丼も福井を代表する味でしたが、今回は行けず。3、4年前、定期的に福井大学に行く機会があり、帰りは列車でちょいグルメをしながらよく帰りましたが、その際よくお世話になったのが小川軒という持ち帰りもできるかつ丼屋。駅前にあったのですが、残念ながら再開発のせいで、一角とともになくなっていました。寂しいばかりです。
ぼくはここのヒレカツソースかつ丼をテイクアウトし、まずソースごはんを食したあと、ソースに浸ったカツをあてにプレミアムモルツを2本、福井→京都間で飲むのが定番でした。湖西線は風に弱く、状況によってはサンダーバードが米原経由となることもありましたが、そんな時はお土産用の笹寿司をこっそりあけ、地酒の一合瓶とあわせる日もあったと思います。
ソースかつ丼は熱々がおいしい。熱々と言えば、同級生の外科医。難治性膵癌に対する血行廓清についての手術に話が移った。私は麻酔科医としての立場からcomplicationをきたす可能性の高い高齢者依存症例ではradaicalな手術は慎重をかさねて適応を決めるべきだとのべましたが、すぐにかれらは噛みついてくる。患者が納得して主治医と考えを共有しているなら、やるべきだと。2~3%の治療向上性しかなくても、やるべきだと。自分は自分の技量について自身を持っていると。言っていることが理解できない訳ではない。迫力負けしそうになる。自分にその技術があってもここまできっぱりとは言えない。彼らは自身を犠牲にして手術をしているのだろう。私にできるのはこういう熱い外科医をサポートするのと、熱くなり過ぎたときに”冷やし水”をかけてあげることだろう。
4軒目は福井にはそぐわない深夜イタリアンに。S君達と飲み、帰るときにはふらふら。S君と2回ほどこけながらなんとかタクシーに乗り込みいつもの東横インへ。寝付いたのは4時でした。
翌日は9時過ぎに起きたがふらつきあり。福井駅で帰りの切符をとり上述のかけそばを食べたあと、土産もの売り場をふらついていると、大阪で腎内をしているT君と偶然遭遇した。彼は車で今から大阪に帰ると言っていました。そういえば前日も2次回半ばで”“明日dutyだから今から大阪南部まで車で帰るよ“(もちろんお酒はなし)という循環器内科の同級の女医さんがいたが、スーパーで駐車場に入れるとまっすぐいれているつもりが、必ず30°斜めになってしまう私にとっては信じられないものでした。奇跡は続き、T君と別れるとつい6時間前まで、酔ぱらって一緒にこけていたS君と遭遇。帰りのサンダーバードも同じ時刻だったので一緒に帰洛。かれは左京にすんでいるとのこと。昔からイケメンであったが、頭が私と同じように白くなった意外はあまり変わりない。開業されているが、意外と大変だと。色々はなして京都まで帰ることとなりました。
楽しかったが結論ですが、みんなそれぞれ苦労している。脳天気勤務麻酔医は僕一人かもしれない(脳天気ではない麻酔科医はもう2名ちゃんといました)。
そういえば僕より口の悪いロベルト・K君はいなかった。彼のセイタカアワダチソウさえ枯らす毒舌トークが聞きたかったのに。
同窓会の途中で、学年で一番ガッツのあるI君が次の幹事に指名された。私も積極的に補佐したいと思います。なぜか2年後の同窓会は福井ではなくて京都です。北九州のI君も是非ともどうぞ。
10年後には、越前そばのようにコシと味があり、長続きする医療者に皆でなれることを夢見ております。
平田 学
2014年03月15日
ポジションレポート
昨日は抄読会でしたが、詳細を書きとめたものをどっかにやってしまったので、また後で記載したいと思います。animal experimentでAPRVとlow volume ventilationの比較。敗血症モデルで、ARDSの発症抑制に関し、APRVの有意性を示したものだったと思います。APRVは旗色がかなりよろしいようです。
本日は福井へ行ってまいります。他施設では4月からの診療報酬改定、特に麻酔科領域についてどう考えているのか?深夜加算に関して夜間対応を増やすよう人員配置を増やす施設があるのか?大学以外の大病院で、特定集中治療管理料を算定できそうなところがどれくらいあるのか?これらについて集められる範囲で情報を得てきたいと考えています。
マレーシア航空機は忽然と行方不明となり、消息不明のまま。なかにはオカルトめいた推測をしている話を聞きますが、腑に落ちない点が多いと思います。確かに内陸部であれば航空機の位置、高度、速度情報はつぶさに管制やあるいは、個別通信により航空会社が把握しているものと思われます。陸から400kmを超えるとレーダー管制ができず、短波を用いた管制を行っていたと思いますが、これはもちろん航空機からの返答がなければ、不可能です。ただそれ以外にも洋上を飛ぶ航空機には多分現在ではほぼ自動化されているであろうポジションレポート(位置情報、高度情報、予測通過時間、残燃料、風速など)がおそらく一定間隔で、衛星経由で管制に送られていたはずではないかと考えます。そうなればその時点で少なくとも高度や速度の情報は把握されていたものと思われます。安全管理上のシステムだと思われますので、この機能を停止させたりするのは難しいのではないのでしょうか?もし現在言われているように、航空機がわざと低高度を飛行すれば、このシステムが働いている限り記録されているはずと考えますが。機影が消えた直後からポジションレポートも発信されなくなったのでしょうか?
不思議なことはあるものですね。
平田学