2015年06月

2015年06月20日

知らないうちに琵琶湖一周

 昨週の今頃は研修の真っただ中。格闘技の新団体と間違うほど認識がないDPC中心についての話が盛りだくさん。しかし麻酔科医と言えども無縁では全くないのです。今年も近くにローソン一軒しかない湖西の某所で研修がありました。前は琵琶湖、後ろは比良山なので、泳いで長浜まで渡るか比良山系を踏破するしかルートはなく脱出はほぼ不可能です。どこの急性期病院も経営状況は厳しいとのことでしたが、その生死を分けるのがDPCにかかわる知識の共有であると。

麻酔診療点数は現時点ではまるめなので関係ないだろうと思いがちですが否、私達次第で診療点数に影響するかもしれないのです。たとえば大腿骨頸部骨折を例に挙げてみましょう。入院期間の全国平均が25日程度ですから、副病名がなければ、このあたりが入院期間Ⅱの期間と思われます。入院期間Ⅲになってしまうと"持ち出し分が多くなって収支はマイナスとなりますから、ここまでに退院に持って行くのが必要条件です。もちろん入院期間によって規定されるので、手術は入院後早目に行えば行うほど余裕ができると考えます。従って麻酔科が関与して入院期間を短くするのに貢献できる要素としては、手術決定から施行までの期間を可及的に短くすることと思われます。ただ元々高齢者が多い疾病なので、併存症が危惧されます。麻酔科術前外来を持つ施設ではそこで、情報を統合し、速やかに併存症の検索と対応(専門科対診)を行うのが近道と考えます。あとは手術スケジューリングを速やかに行い、合併症を可能な限り防ぐために術後のバックアップ(頸部骨折は重症例が意外と多く、準緊急手術となることも多いので、夜間帯に手術スケジュールを行わなければならないこともあり、PACUや集中治療室での術後ケアが必要なこともあります)計画を立てる必要性もあります。ただ頸部骨折の入院は平日だけではありません。休日の緊急入院にどう対応するか。ここは実は私達の部門ではまだ対応できていません。土日の人員問題はありますが、手術適応と判断された時点で、麻酔科のほうでもリスク評価を行い、この間に麻酔に関するICを行っておく必要性を感じています。そうすれば、併存症が問題とならなければ月曜の朝から、併存症の対応を行っても、たいていの場合は月曜午後から手術施行が可能になると考えます。もちろんマンパワーあってのことなので、バランスをとらないといけないのですが。

日曜の夕方に開放されましたが、私はその足で愛知の実家へ。京都経由で行けば時間がセーブできるのに、お金をケチって湖西線、北陸線経由で米原に移動。そこで新幹線に乗り継ぐつもりでした。しかし近江塩津行の列車は出た直後、1時間待ちです。ひろせでビールと寿司をと見ると、なんと準備中。この日はタイミングが全くうまくあいませんでした。夕暮れの琵琶湖はきれいでいたが、前になかなか進まず、結局実家についたのは21時前でした。23時前の新幹線で京都に帰るというハードスケジュールで研修以上に疲労、貧乏性が裏目に出ました。でも得なことを発見。よく考えたら2日がかりでしたが、初めて琵琶湖を1週していました。

 

            平田学



mh5963ya at 12:44|PermalinkComments(0)

2015年06月04日

どSな1週

 しばらくブログ更新をさぼっていました。先週は学会の週、かなりいそがしかったのです。全くどS1週間でした。月曜外来の後、翌火曜はS。翌日はまた外来でその後は先週でローテションの終わった先生のお疲れさん会。馬焼肉をヒヒーンといななくほど食べました。実は私この日の外来が5時きっかりに終わっていたので時間を持て余し、四条まで歩いたあと0次会に、木屋町の立ち飲み屋で一杯(本当は2)。その後馬屋でなぜか大学の若手と遭遇、盛り上がりました。会終了後、まずはお酒の締め、私はいつもの沖縄料理店で泡盛を。2杯ほどロックで飲んだ後、麺の締めへ。本日はすぐま近の門扇ラーメンへ。ここは鳥だしベースです。そこそこの時間に締め出されずに帰宅しました。翌日はまたS、平常の半分ほどの症例(この日が学会1日目)をこなしたあとICUの当直へ。当直はなぜだかいつも忙しくなります。あまり眠れないまま翌日。この日は16時から座長です。一旦家に帰り、スーツを着たあと神戸に。この日はかなり暑く、寝不足の私は明らかに脱水症。電解質補水をしましたが、頭がくらくらしていました。おそらくセッション時の私の話は呂律が回っていなかったに違いありません。その後ちょっと回復した私は調子に乗って、3年目の2人、学生さんとともに兵庫方面に繰り出し、駅前のピンチョス専門店に。なかなかこった具材で、ホタルイカなども入っています。4人でボトル3本のワインを摂取、脱水はどこにいったのか?よく土曜はICUの日勤、夜はバックアップてな感じで、かなりハードでした。

 みなさんにとって神戸国際会議場は麻酔科学会年次集会の場所という認識が多いかもしれませんが、私が初めてここに来たのはJDDW、すなわち日本消化器関連学会です。私が麻酔科医になったのは全くの成り行きですが、先生方はどうなのでしょうか?私の京都での就職は元は消化器内科医としてでした。現状をその当時の自分は全く予想していなかったでしょう。いま麻酔科医であることに不服はありませんが、みなさんはどのような経緯で麻酔科医になったのでしょうか?人生はもちろん複雑怪奇なのですから、ある意味その一部をとりまとめる私達の臨床研究なんて特定の解釈ができるはずがありません。夏に発表する”HES130導入による変化につきまとめておりますが、その解釈についても悩ましいばかりで、これさえも人生同様一筋縄ではいかないといった感じです。大げさすぎ!次はこれに関する論文をよんでみたいと思います。本日はまだ亜急性疲労からの回復中のためここまでとしたいと思います。呂律どころか筆もまわっていない。頭もか。

 

                 平田学



mh5963ya at 22:01|PermalinkComments(0)